【門前編】「スローな生産性」から日本酒業界を考える!<前編> 今回からは前後編の2回にわたって、「SLOW仕事の減らし方~『本当に大切なこと』に頭を使うための3つのヒント~」(カル・ニューポート著 高橋璃子訳 ダイヤモンド社 2025年1月28日発行 1,700円+税)をベースとした内容を取り上げたいと思います。この書籍の原題は、「SlowProductivity」(スローな生産性)という逆説的なタイトルで、2024年に米国で大ベストセラーになったのだそうです。著者のカル・ニューポート氏は、会議やメールの多さ等を成果と錯覚する“疑似生産性”を批判し、「ゆっくりと意味ある成果を積み重ねる働き方」こそ持続可能だと説きます。常に速さを求められる現代の職場とは対照的に、長期的な価値を生むためには“遅さ”が不可欠だと論じるのです。新時代の潮流は「スロー」……日本酒業界にとっても、大きなヒントが得られるのではないかと考えています。
【生産性のウソを暴く】 著者はまず具体的な事例を挙げ、知的労働についていえば、「成果を出す」というのがそもそも何を意味するのか、みんなよく分かっていない可能性があると指摘するのです。そこで、知的労働者700人に調査を実施し、「あなたの仕事の分野で、<生産性が高い>とは具体的にどんなことを意味しますか?」という質問をしたのだといいます。そして、集まった答えには、あるべきものが欠けていたのだというのです。みんな仕事の内容については答えてくれるが、はっきりとした目標値がない、言い換えれば、生産性が高いか低いかを判断するための基準がなかったのだといいます。ここで著者は、私たちが振り回されている「生産性」という言葉には、一貫した定義すらないのではないか、ということに気づくのです。生産性という言葉が最初に使われたのは農業分野であり、その意味は明快だったのだといいます。たとえば土地の生産性を求めるには、土地の単位面積あたりで生み出された作物の量を見ればよく、この基準をもとに、面積あたりの収穫量を増やす方向で農家の人々は工夫を重ねてきたのだと。そのお陰で農業の生産性は飛躍的に上がったのだというのです。そして18世紀にイギリスで産業革命が起こると、資本家たちは農業の生産性の考え方を工業に適用し始めたのだといいます。たとえば1時間あたりの労働で作られる自動車の数を追求し、ベルトコンベアによる流れ作業で効率を上げるのだと。西洋における経済成長の展開は、そのまま生産性思考の成功物語だったといえるだろうと、著者は語るのです。 ところが20世紀半ばになり、工場労働に変わって知的労働が台頭してくると、それまでのシンプルで計量可能な生産性の概念はすっかり影をひそめてしまうのだといいます。頭を使う仕事に関していえば、農業や工業で成功をおさめた生産性の手法がうまく当てはまらないのだと。理由のひとつは、作業の分かりにくさにあるのだというのです。マネジメント論の権威であるピーター・ドラッカーも、著書「経営者の条件」の中で、「知的労働者の仕事を逐一管理することはできない。できるのは、せいぜい手を差し伸べることだけだ。知的労働者を監督するのはその人自身である。」と述べているのだといいます。そんな中で出現してきたのが次のシンプルな代替案、目に見える活動量を生産性のおおまかな指標にすればいいのではないか、というものだったのだというのです。こうして、目に見える活動で生産性を判断する見方が20世紀後半の仕事観となり、だから私たちは週に40時間、狭いオフィスに集まって働いているのだといいます。メールに未読が溜まると後ろめたさを感じ、上司が近くにいると「忙しそうにしなければ」というプレッシャーを感じ、だから集中力を必要とする「深い」仕事よりも、さくさくと完了のチェックをつけられる簡単な仕事ばかりを選ぶようになるし、成果がすぐに出ない仕事をしていると、心の中で不安がふくらむのだというのです。著者は、生産性は明確な数値であることをやめ、あいまいで感覚的な代替品になってしまったのだと語り、この生産性に名前と定義を与えています。名前は「疑似生産性(ニセモノの生産性)」であり、その定義は「仕事の生産性を推定するために、目に見える活動量をおもな基準とする見方」だというのです。この疑似生産性による働き方は、当初はそれなりにうまくいっていたが、この20年ほどの間でインターネットの普及と電子メールの登場により、何かがおかしくなり、深刻な被害を引き起こしているのだといいます。平均的な知的労働者の一日は、仕事そのものよりも「仕事をしているアピール」にどんどん費やされ始めたのだと。ひっきりなしにメールやチャットに反応し、仕事について一日中話しているが、肝心の仕事をする暇がなくなっているのだというのです。やがてノートパソコンやスマホが普及して端末を持ち運べるようになると、この傾向はより一層悪化したのだといいます。そのせいで仕事のストレスは増大し、集中力は粉々に砕かれ、世の中はバーンアウトの危機に向かって一直線に突き進むことになったのだというのです。 【もっといいやり方を見つける】 1986年、マクドナルドがイタリアのローマに大型店舗を出店すると発表した頃、活動家でジャーナリストのカルロ・ペトリーニが、スローフード運動を立ち上げたのだといいます。地元で採れる旬の食材を、時間をかけて、仲間と一緒に楽しむのがスローフードの食べ方であり、この運動はまもまくイタリア全土に広がったのだそうです。そして現在スローフード協会は、世界160ヶ国に支部を展開しているのだといいます。当初著者は、スローフード運動は食にこだわる人のためのニッチな運動だと思っていたのだそうです。しかし、いろいろ調べていくうちに、この運動には食事の話にとどまらない意義があることが分かったのだといいます。その根底には、2つの深い思想が流れており、そこにあるアイデアは静かながらも革新的で、現代の「過剰さ」に対抗する様々な試みに適用できそうだというのです。その第一のアイデアは、魅力的な代替案を提供することなのだといいます。辛辣に社会の問題を批判すれば束の間の満足感は得られるかもしれないが、社会に持続可能な変化をもたらすためには、もっと楽しくて前向きになれるような代替案が必要だというのです。もっと魅力的な食生活を提案して、人々が自然とファストフードから離れるように仕向けたほうがいいのだと。第二のアイデアは、過去の文化的イノベーションを活かす姿勢だといいます。社会運動をしていると、今までにないやり方でまっさらな未来をつくりたいという欲求に駆られることがあるが、ペトリーニは人々が代々試行錯誤を重ねてつくりあげた「伝統的な」食文化こそが、ファストフードへの有効な対抗策になると見抜いていたのだというのです。長年の試練に耐えて生き残ってきた文化的伝統は、新奇なだけの試みよりも人々の心をつかみやすいはずだと著者は語っています。そして、魅力的な代替案と伝統の再発見、この2つのアイデアには、食文化を超えて広く適用できるポテンシャルがあるのだというのです。多くの人を動かすためには、やみくもに新しさを主張するだけではだめなのだと。そして、スローフード運動の成功を受けて、その精神を文化の様々な側面に活かそうとする新たなスロー運動が次々に登場してきたのだといいます。スローシティ運動、スロー医療、スロー教育、スローメディア運動……等々、食べ物、都市、医療、教育、メディア……適用分野は違えど、あらゆるスロー運動は現代人にゆとりある持続可能な選択肢を提供するという、ラディカルで効果的な戦略の上に成り立っているのだというのです。そして著者は、現代の忙しすぎる職業人を救うために必要なのは、過剰な働き方を批判したり新奇な政策を打ち出したりすることではなく、生産性の概念そのものを、もっとスローに捉え直すべきなのだと語っています。 スローフード運動が教えてくれるように、知的労働者を襲うバーンアウト危機に対処するためのより持続的な方法は、魅力的な代替案を示すことであり、そのためには、単に疑似生産性の弊害を抑えるのではなく、生産性そのものに対する新たなアプローチを提案する必要があるのだというのです。では疑似生産性に代わるアプローチとはどんなものかと考えたとき、ここでペトリーニの第二のアイデアが活きてくるのだといいます。それは、時の試練に耐えてきた伝統に学ぶ姿勢だというのです。知的労働に、スローフードの枠組みを当てはめるためには、知的労働を次のように定式化してみるといいと著者は語っています。「知的労働の一般的定義:人の認知的活動を通じて、知識が市場価値のある成果物に変換されるような経済活動」。……この定義はプログラマー、マーケティング担当者、会計士、管理職など、一般にオフィスワークとされる職業に広く当てはまり、同時に、ずっと前の時代から続いてきた多くの知的職業も包含しているのだというのです。作家、哲学者、科学者、音楽家、劇作家、芸術家……等々、彼ら伝統的な知的労働者の働き方をそのまま真似するというのではなく、そうした自由な働き方の核にある考え方を応用することだといいます。そして著者は、疑似生産性への代替案の構想を、「スローワーキング」と名づけたのだというのです。 <スローワーキング>持続可能かつ有意義なやり方で知的労働に取り組むための仕事哲学。以下の3つの原則に基づく。➀削減:やるべきことを減らす。➁余裕:心地よいペースで働く。③洗練:クオリティにこだわり抜く。 そして著者は、この後本書にて、これら3つの原則を詳しく紹介しています。スローフード運動にならって、様々な時代やジャンルの伝統的な知的労働者らのエピソードを事例として数多く取り上げているのですが、以下では割愛させていただいています。詳細を知りたい方は、是非本書をお読みいただけましたら幸いです。 【削減:やるべきことを減らす】 「スローワーキング」の第一原則「削減」とは、やるべきことを大幅に減らし、すべて終えてもたっぷり時間があるくらいにしておき、少数の重要な仕事に力を注ぎ、大きく前進することだと、著者は語ります。現代の多忙な職場にあっても、工夫次第でやるべきことは減らせると断言するのです。さらに、引き受ける仕事を減らしたほうが、アウトプットは明らかに増えるのだといいます。急いでないときのほうが、脳はうまく機能するのだというのです。「やるべきことを減らす」という原則を「成果を減らす」という意味に勘違いする人は多いが、実際はまったく逆だといいます。そもそも、やることリストが満杯だろうとゆとりがあろうと、1週間の労働に費やせる時間が大きく変わるわけではないし、むしろリストが混んでいればいるほど、その時間を有効に使えなくなってくるのだというのです。削減が重要な理由はここにあるのだといいます。削減こそが、いい仕事をするための鍵なのだというのです。ただし、その事実を認識するだけでは、働き方を根本から変えるのに充分ではないのだといいます。ではどうするか、その具体的な方法を著者は、「行動プラン」➀~③として紹介していますが、ここでは説明はカットしていますので、詳細を知りたい方は是非本書をお読みください。 <行動プラン1:大きな仕事を削減する>
<行動プラン2:小さな仕事を手なずける>
<行動プラン3:仕事はプル方式で取りにいく>
【余裕:心地よいペースで働く】 「スローワーキング」の第二原則「余裕」とは、重要な仕事を急いではならず、自然で無理のないペースを心がけ、遊びと変化を取り入れて、最高の成果につながる環境を作りだすことだと、著者は語ります。かつて人類の普遍的な生き方であった狩猟採集生活の時代では、実は労働時間(食糧獲得のために働く時間)は平均で週20時間程度であり、その他の雑用に週20時間ほど費やしていたと考えても、自由に使える余暇はたっぷりとあったのだというのです。さらに、狩猟採集民の働き方は、均一ではなく、緩急があったのだそう。そして、働き方を自由に選べるとき、伝統的な知的労働者たちは、狩猟採集民に近いペース配分で働くことを選んでいるのだといいます。ここにスローワーキングの第二原則の正当性があるのだというのです。一定の強度で休みなく働くのは人工的で、持続可能性のない働き方であり、その場では偽の満足感を与えてくれるかもしれないが、長期的には労働者を人間らしさから疎外し、苦しみを引き起こすのだといいます。純粋に経済的な観点からいっても、そのような働き方はむしろ足かせになる可能性が高いため、もっと自然で、遅く、変化に富んだ仕事のペースこそが、長期的には真の生産性を育んでくれるのだと、著者は語るのです。この第二原則「余裕」を実現するための具体的な方法を著者は、「行動プラン」④~⑥として紹介していますが、ここでは説明はカットしていますので、詳細を知りたい方は是非本書をお読みください。 <行動プラン4:時間はかかるものと考える>
<行動プラン5:季節の変化を取り入れる>
<行動プラン6:芸術家の創作環境に学ぶ> 【洗練:クオリティにこだわり抜く】 「スローワーキング」の第三原則「洗練」とは、仕事の品質を徹底的に追及するということであり、短期的にはチャンスを逃すことになったとしても、その成果は長期的に仕事の自由度を大きく広げてくれるのだと、著者は語ります。そして、スローワーキングの第一原則では、非人間的で非効率な過重労働から逃れるために、やるべきことを減らそうと論じたが、一方、クオリティを重視する第三原則の観点からいうと、仕事量の削減は選択肢ではなく、必須条件となるのだというのです。さらに、忙しい現代社会では忘れられがちだが、スキルを磨きクオリティを上げることで得られる果実は、必ずしも年収アップや昇進だけではなく、よりスローで持続可能なライフスタイルであってもいいはずだと語っています。つまり、クオリティへのこだわりは、スローな働き方を必要とすると同時に、スローな働き方を可能にするのだというのです。これをふまえて、仕事のクオリティを上げるための具体的な方法を著者は、「行動プラン」⑦~⑧として紹介していますが、ここでは説明はカットしていますので、詳細を知りたい方は是非本書をお読みください。 <行動プラン7:誰にも負けないセンスを磨く>
<行動プラン8:自分を信じて賭けてみる> 【「SLOW仕事の減らし方」から日本酒業界が学べること】 さて、本書から日本酒業界が学べることは、多々あるかと思います。特に本書の主眼である「スローワーキング」については、皆さん個別にて是非考えていただき、自社や自店に導入を検討していただけたらと思います。そしてそれ以外に、私が最も学ぶべきであると考えた点は、本書が「スローフード運動」から得た、魅力的な代替案と伝統の再発見という2つのアイデアです。後者の「伝統の再発見」という点で考えれば、日本酒はまさにズバリそのものであり、我々日本名門酒会の長年の活動自体も、まさに「伝統の再発見」活動であると言い換えることができるでしょう。さらに著者は、長年の試練に耐えて生き残ってきた文化的伝統は、新奇なだけの試みよりも人々の心をつかみやすいはずだと語っているのです。しかも令和6年12月には、日本の伝統的酒造りがユネスコの「無形文化遺産」に登録されてもいます。本来、日本酒の需要振興を「伝統の再発見」として捉えるならば、もっともっと人々の心をつかんでいてもいいはずなのです。それが現在、日本の全酒類における日本酒のシェアが5%を切っている状況であるというのは、我々の「伝統の再発見」度合いがまだまだ足りない、その訴求力がまだまだ弱いということでしょう。つまり、まだまだ「魅力的な代替案」になり得ていないのだといえるのです。ちなみにこの「代替案」とは、何に対しての「代替案」なのかというと、それは他酒類であり、他飲料であり、もっといえば日本酒以外に顧客が支払う全支出であるといえます。日本酒は、それらのすべてと比べた場合、より魅力的な代替案となっているのか、ということです。日本酒は、レモンサワーより魅力的か、ペットボトル茶より魅力的か、スマホのRPGより魅力的か……ということなのです。我々は、もっともっと日本酒の伝統を深掘りし、日本酒の魅力を追求し、それらをもっともっとしっかり訴求しなければならないということでしょう。 そんなことはもう既にやっているよという方もいらっしゃるかもしれませんが、日本酒のみならず、日本酒の周りにあるモノやコトまでも含めれば、まだまだやれることは山ほどあるのではないでしょうか。日本酒を、日本酒自体の魅力で訴求するだけではなく、その周りのモノやコト……酒器であったり、酒肴であったり、地域ならではの伝統食文化や楽しみ方であったり、季節性であったり、居酒屋文化であったり、歴史上の人物や著名人との関わりであったり……とともに訴求することで、その魅力は倍増するはずなのです。たとえば「伝統の再発見」でいえば、江戸時代の蕎麦屋では「蕎麦前」という粋な文化がありました。蕎麦を待つ間に、「板わさ」「焼き海苔」「そば味噌」「だし巻き卵」等を肴に、燗酒をチビリチビリと堪能しながら会話を楽しむというのが「蕎麦前」であり、これが粋とされた時代があったのです。もちろん現代でも、この「蕎麦前」が体験可能な蕎麦屋は存在していますが、この文化自体はほとんど消え去ってしまっているといえるでしょう。実は私もかつて、東京の老舗の蕎麦屋で「蕎麦前」体験をしたことがあるのですが、他では味わえない独特の魅力があり、今もしっかり記憶に焼きついています。この「蕎麦前」文化を、「伝統の再発見」&「魅力的な代替案」として、日本酒メーカー、酒類卸、酒販店が協働で全国各地の蕎麦屋に提案し、復活させて流行らせるということも、ほんの少し現代化してアレンジすれば、決して不可能ではないはずなのです。 もうひとつ、「通い徳利」の復活という「伝統の再発見」もアリでしょう。これは、酒屋が顧客に陶器の徳利を貸し出して、顧客はカラになった徳利を持って酒屋に通い、代金と引き換えに再びお酒を注いでもらって持ち帰るという「量り売り」のシステムであり、明治時代に一升瓶が普及する前の庶民のお酒の買い方でした。現代のサブスクやマイボトル、循環型社会の考え方に通じる、エコで顧客とのつながりを深められる販売方法だったのです。実際現代でも、マイボトルでの日本酒サブスクを実践している事例が既にあるようです。この「通い徳利」の復活も、ほんの少し現代化してアレンジすれば、日本酒の新時代の販売方法として、「魅力的な代替案」となるのではないでしょうか。また、日本酒をその地域の食文化とともに提案するという手法も、「魅力的な代替案」といえるレベルに至っている提案は、まだまだ数少ないといえるでしょう。本来日本酒はすべからく、その地域で地元の食文化とともに楽しまれてきた「地酒」であったはずです。そういう意味ではこの提案も、「伝統の再発見」であるといえます。その日本酒が本来持っている「地酒」としての価値を「魅力的な代替案」といえるレベルまで引き上げるには、その日本酒自体のみならず、その日本酒が生まれた地域の伝統的な食文化とともにしっかり提案することで、その日本酒の持つ「世界観」までも演出できていなければならないのです。全国の地酒専門酒販店が、ここまでの提案ができるようになれば、それは現代の他の商品やサービスと比べても負けない「魅力的な代替案」となり、その「伝統の再発見」は多くの人々の心をつかむことができるのだといえるでしょう。その時日本酒は、「スローフード運動」にも負けないほどの、大復活を遂げることができるはずなのです。